映画とインテリアブログ 「第35作目」

あっという間に7月も終わり、夏のど真ん中 8月です。
予報では今年の夏は非常に厳しい暑さになるとの事。
夏の入り口で既に音を上げてしまいそうになっている四十路には
中々、ハードな季節になりそうです(汗)

夏は色々と風物詩の多い季節ですが、夏といえば「納涼怪談」がありますよね。
怖い話を聞くとゾゾゾーッと血の気が引いて、体感温度が急激に下がります。
かなり原始的な方法ですが、現実的且つ風流もあって面白い日本の文化だと思います。

そこで今回は今夏の酷暑を乗り切る背筋が凍る
「ホラー映画とインテリア」を取り上げてみましょう。

「ホラー映画」はコメディ同様に非常に国民性が反映するジャンルだと思います。
これはそれぞれの国でのメインの宗教観(すなわち死生観)の表れでもあり、
生活様式によって変化するものだからでしょう。

アメリカのホラーは「オーメン」や「ポルターガイスト」などは
「神VS悪魔」の代理抗争の話であり、キリスト教色が強く出ています。
一方、日本では宗教色の強いホラー映画は日本では作られず、
私怨を題材にした作品が多いように見受けられます。
ここらへんはそれぞれの宗教の成り立ちと密接な関係がありますが
ここでは割愛します(笑)

しかし、日本の生活スタイルが欧米化していくにつれて、劇中で恐怖の引き金になる
演出スポットはグローバルスタンダード化されてきました(笑)
それは「窓」「階段」「扉」です。

「窓」は見えないはずの物が映り込んだり、登場人物が気付かない(観客には分かる)
危機の予告であったりといわば「別の世界」との接点、
または俯瞰視点の怖さの装置として機能しています(鏡もそうですね)

女優霊
「女優霊」

「階段」は有名な「エクソシスト」の悪魔に取り憑かれた少女が背面蜘蛛歩きで
降りてくるシーンや「呪怨」での伽倻子の這いずっての登場など、
どちらかというと「上り」より「下りてくる」というベクトルで使われますね。
やはり「ソレ」は降りてくるのでしょうか・・・

エクソシスト

呪怨

扉も窓と同様に「こっちの世界」と「あっちの世界」の境界線です。
止せば良いのにわざわざ、物音がするから扉を開けて自発的に「あっちの世界」に
足を踏み入れてしまうというのはホラーあるあるです。
「シャイニング」のあっちの世界に行っちゃったジャック・ニコルソンが
扉を破って襲ってくるシーンも扉という境界線を無理やりに超えてこようとする
生理的嫌悪感を刺激する名場面です。
欧米のホラー映画はよく扉を破壊しますが、
邦画ではまずそのような乱暴な演出はしません。
やはりこのような演出1つ取ってみても怖さのアプローチに国民性の違いが出ますね(笑)

シャイニング

やはり「家」という外の世界と隔絶した空間の中は
普段はそこに安らぎを感じる場所であるからこそ、
起こる恐怖体験が一層、脅威を与える効果があるのでしょう。
また観客の日常生活と違わないシチュエーションは共感を呼びこみ
恐怖をより現実的なものとして落とし込める絶好の舞台になるんでしょうね。

最後に家を舞台とした個人的に怖かった日米の2作品を紹介します。
この2作品には霊や悪魔など超常現象的なモノは出てきません。
生身の人間の行為だからこそ、芯から怖くなる映画です。
どちらもそれぞれの国の典型的な「住宅」が舞台なので
インテリア目線で比べて観るのも面白いと思います。
暑くて眠れない夜のお供にどうぞ(怖すぎで眠れなくなるかもw)!!

黒い家
「黒い家」 監督 森田 芳光

ヴィジット
「ヴィジット」 監督 M ナイト シャマラン